2012年9月26日水曜日

研修を通して学んだこと


 研修を通して学んだことは数えきれないほどありましたが、特に考えさせられたことが3つあります。
 1つめは時間の大切さです。これは本当に噛み締めながら1か月を過ごしました。「無駄な時間を過ごさない。一人でいない。」これだけを考えて生活していたように思います。普段、できることならお家でゆっくりしていたい性格なので、ニュージーランドでの生活では、その考えを180度変えて生活することになりました。グループのみんながお買い物に行くときは自分も参加させてもらったり、ホームステイ先ではdinnerの後は団らんに長く参加したり、その後もリビングであったり、ユジンの部屋であったり、どこかしら一人きりにならない場所にいるようにしました。また、時間と共に、その時にしか見えない景色もひとつひとつ大切にしていたように思います。デジタルカメラを常に持ち歩き、今見てみるとニュージーランドで撮った写真のほとんどは景色の写真です。窓から見える朝日であったり、家から近かったbeachから見た夕日であったり、学校からの帰り道の青空であったり、cafeteriaのベランダから見える光景であったり、本当にたくさんの、目に見えるものすべてを残しておきたいと思いました。それくらい、その一瞬一瞬を大切にしていたのだと思います。
 2つめにコミュニケーションを取るということです。これは時間を大切にし、一人きりではいないということと関わってきますが、国を問わず多くの人と関わろうという努力をしました。同じクラスに日本人が自分しかいなかったので、それは妥協することなく頑張れたと思います。積極的に関わろうと努力したおかげで、クラスは違っても週に1回行われた同じレベルの合同授業でたくさん友達ができました。その中には帰国した今でもほぼ毎日のように連絡を取り合うような友達もいます。こうした友達と出会えたこと、仲良くなれたことも私の財産となりました。ニュージーランドで生活する中で、意欲さえあれば、向上心さえあれば乗り切れるということは考えが甘すぎたように感じました。いくら意欲があっても、向上心があっても、実力がしっかりとついていなければなんの糧にもなりません。ある程度の努力をした上での向上心でなければ現時点での上などなく、スタートさえきる準備もできていないし、ましてや結果も着いてこないのだと痛感しました。特に、私のクラスは自分がなぜこのクラスになれたのか不思議に思うくらいクラスメイトとの英語のレベルの差を感じました。クラスメイトの会話がすべて「英語」で成り立っていて、後半こそは一生徒として授業に参加できていましたが、最初は教師の話すスピードも生徒同士のdebateのスピードも、会話のすべてが速すぎて自分の答えを出す以前に教師が示す問題の意味を理解することがやっとでした。中学や高校の英語の基礎である文法がいくらできていても、それが役に立つのは授業中にあったちょっとしたテストなどだけであって、英単語の量、接続語をどれだけ知っているかという知識的な部分、実力が私には足りませんでした。いくらニュージーランドでたくさんのことを学びたいという意欲や向上心があってもこれには敵いません。だからといって、会話ができなかったというわけでもありません。ただ、もっと実力があったなら、自分の言いたい事がきちんと「自分の形」として相手に伝わってお互いの人間性や中身が見えるような会話ができたのではないかと思うし、自分の言いたい事を表せなくて歯がゆい思いをすることも少なかったのではないかと思います。私は何をするにも、確かに努力は必要だけれど気持ちが強ければなんとかなると思って生きてきたので、こういう面は強く考えさせられました。だから今後は「向上心によって実力を身に着けての結果」だけではなく「実力を備え向上心があっての自分にとって最高の結果」というように物事を考え、実行していくようにしたいです。その方が「向上心」の向く目指すべき「上」のレベルも高くなると思います。また、コミュニケーションが大切だったのはクラスメイトやホストファミリーだけではありません。同じグループのみんなとの会話はその人の生活や考えを知る唯一の手段となりました。異国の地で生活していく中で、同じ国の人間であるということがどれだけ心の救いになるのか感じさせられました。また、大学内での問題やホストファミリーとの関係、体調のこと、グループとしてのこと、普段は隠してしまうようなことであっても表に出さないと誰にも伝わりません。特にグループを構成するメンバーにおいても、学園大内でいつも一緒にいるような人たちというわけではなかったので、お互いの事をよく知らないまま1か月を過ごすことになり、人間関係をうまくやっていけるのか不安しかありませんでした。でも、1か月、毎日一緒に生活してみてその人の知らなかったいろんな部分をたくさん見ることができたり、知ることができました。それはすべてコミュニケーションから成り立っていたのだと思います。本当にこのメンバーでニュージーランド生活を過ごすことができて幸せでした。
 3つめは自分自身についてです。ニュージーランドの生活を通してこれが一番の変化だと思います。私自身、あまり団体で行動することが好きではありませんでした。それは、一緒に行動する人数が増えれば増えるほど一人ひとりの自由が失われるし、自分の行きたいところに行くとか見たいものを見るとか、やりたいようにできないことが何より耐えられなかったからです。しかし、この1か月間、半ば強制的に9人という人数で生活しなければならない状況の中で、集団行動の難しさや大変さとともに、8人の仲間がいたからこそ、助け合ったり支え合ったりすることができたし、みんなと一緒にいたからこそ楽しかったり笑っていたりしたことの方が多かったように思います。前までは一人でいる時間をなんとしてでも確保して大切にしていたのに、今では一人でいる時間が寂しく感じるほどになってしまいました。それくらい、このメンバーと生活する中で集団行動、集団生活の良さを知ることができたのだと思います。
 そして、良い意味で我慢をしなくなったし我慢をできるようになりました。人の目が気になってしまうようなことでも、助けたいと思ったら自ら進んでその人の助けになったり、グループとして言うべきことは、反感を持たれるであろうことであっても進んで言ったり、行動したり、人のためには我慢をしなくなりました。また、今までは人に迷惑をかけてしまったであろう、少しの体のきつさや精神的な部分など、自分自身については我慢できるようになったと思います。
 
 

  また、最近では尖閣諸島問題や反日問題のように、国同士でさまざまな問題が起こります。それは国境が存在する以上、仕方のないことだと思います。今回の反日問題にしても、多くの中国人が日本人に対して暴動などといった行動をとっていて、今までだったらその反日運動を行っている人たちにとどまらず、中国人全体を否定するという対応を取っていたと思います。でも、留学を経験した今の私は今回のようなことが起こっているとしても、それは一部の中国人の行動であって、みんながみんなそういうふうに反日を考えているわけではないと分かっているから、きちんと冷静な目で考えることができます。実際にニュージーランドで親しくなった中国人の子はFace Bookで私たち日本人の友人に向けて反日運動による中国人の行動に対する謝罪とすべての人がこのように考えているのではないということ、自分は日本人のすばらしさを知っているし、日本人の友達を愛しているというメッセージを送ってくれました。今回の留学を通して、さまざまな国の人の文化や考えを知ることができた一方で、国は関係ないのだと感じることがたくさんありました。ただ、生まれた国が違うというだけなのです。そう考えれるようになったのもひとつの成長だと思います。
 時間の大切さ、コミュニケーションをとること、ニュージーランドの生活を通しての自分自身の成長はこれからの生活でも生かされていくと思います。ニュージーランドで過ごした時間と、今日本で当たり前のように過ごしている時間のスピードも長さも同じです。そのことは分かっていても実際、帰国してから明確な目標であった「留学」を今回達成してしまったことによって何をするにも頑張れず、ずっと無気力な状態が続いていました。それに、ニュージーランドでは学園大メンバーと何をするにもずっと一緒だったから何か物足りなくて、時計を見てはニュージーランドでその時間にどんな風に生活していたかを考えたりしていました。
 でも、そうしている時間もニュージーランドの友達は勉強を頑張っていて、私にももちろんするべきことがあって。だから、頑張ってみようと思います。がむしゃらに。何もせずにただ生活しているのがもったいない。やれることは全力でやろうと思います。
 友達も今までは合わないと思ったら、その人とは関わることを遠ざけていたけれど、もっといろんな人とコミュニケーションを取っていろんな考えを知って、自分にプラスになるような環境を自分自身で作っていこうと思います。
 そして、絶対にまたニュージーランドに「行く」のではなく「帰りたい」と思います。
 できれば、今回のメンバーと一緒に。

 

2 件のコメント:

  1. 「実力を備える」という決意。すばらしいです。次の目標を設定して突っ走ってください。あなたならできる。
     すばらしいメッセージと写真ありがとう、この2カ月間。

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  2. いつか帰ろう!卒業旅行に考えてるんだけどね(o^^o)またこれからお金を貯める日々です。彩夏、ありがとう。

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